●海を越える『なつかしゃ』の声―中孝介インタビュー(2006/10/25)
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 「地上で、最も優しい歌声」――。奄美大島出身で今年3月にメジャーデビューを果たしたシンガー、中孝介(あたり こうすけ)の音楽は、そんな風に形容される。奄美のシマ唄独特のコブシ回しや裏声を散りばめた、透明で柔らかいポップスは、聴く人々に静かだが強烈なインパクトを与え、ついには彼のデビュー曲『それぞれに』が、あの劉徳華(アンディ・ラウ)にカバーされるに至った。海を渡る風のように、国の境など、こともなげに越えてしまった中孝介は今、中華圏の人々にもっともっと自分の音楽を届け、彼が一番大切にしている「なつかしゃ」の心を伝えようとしている。

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――デビュー曲『それぞれに』が香港の大スター、アンディ・ラウさんにカバーされると知った時はどんな気持ちでしたか?

「驚きましたねぇ〜! それ以上に、どこで僕の曲を聴いたんだろう?って。アンディさんは演技だけじゃなくて、歌もこんな風に表現できるってすごいなぁ、と感激しました。ほんわかと温かい声で歌ってらっしゃいますよね」

――中華圏と言えば、今年の5月26日に上海で開かれた日中音楽交流ライブ「JAPAN NIGHT 2006」に出演されたんですよね?

「上海ではまだCDもリリースしていないのに、僕のことをこんなに知ってくれている人たちがいるんだなぁ、ってとても驚きました。しーんと静かに聴き入ってくれて……。言葉は分からなくても、きっと通じるなにかがあるんでしょうね。『懐かしい気持ちになりました』って言ってくれた人もいて、僕が伝えたいことがまさにそれだから、うれしかったですねぇ」

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――それ以前に、中華圏に行かれたことはありましたか?

「メジャーデビューする前、僕は奄美でシマ唄を歌っていたんですけど、実は2004年の1月に香港で各地のミュージシャンが交流するイベントがあって、そのステージで歌ったことがあるんです。世界各地の民族芸能のアーティストの方々とは何回か、共演しました」

――中さんの歌は以前から、アジアや他の場所の音楽と響き合っていたんですね。10月11日に発売された日本国内向けのミニアルバム『なつかしゃのシマ』には、中国の若手女性歌手・韓雪(ハン・シュエ)さんとのデュエット曲「記憶―Last Forever―」も収録。中さんが中国語で歌っている部分もありますが、韓雪さんと同じくらいきれいな発音ですね!

「僕、中国語は簡単な挨拶と自己紹介ぐらいしかできないんです。だから、歌うのは難しかったですねぇ……。ちょっとでも発音が違うと通じないと聞いていたんで、通訳の方にしっかり教えてもらいました。録音が別々だったから、韓雪さんとはまだ会ったことがないんですけど、11月にある『中華年記念音楽祭』でこの曲をデュエットする予定なので、すごく楽しみにしています」

――11月6日に中華圏で日本に先がけて発売されるフルアルバム『触動心弦』には、王力宏(ワン・リーホン)さんの「心中的日月」という曲の日本語カバーも収録されていますね。

「アルバムを中華圏でリリースするということで、聴いてくださる皆さんに親しみを持っていただきたいから、現地のアーティストの曲を取り入れようということになったんです。リーホンさんのアルバムを聴いて、アレンジが一番、面白かったあの曲に決めました。もちろん、リーホンさんのボーカルは素晴らしいんですけど、スゴいですよ、あのアレンジは! ソウルとかR&Bに聴こえるのに、ちゃんと中国的な音階を入れているし、伝統楽器も使っているんですよね。お会いする機会があれば、いろいろと聞いてみたいと思います」

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――そのアルバムのプロモーションで上海、北京、台湾などに行かれる予定だそうですね?

「あちらに行ったら二胡とか、民族楽器の演奏家さんとコラボしてみたいですね。実は雲南省にテレビのロケで行った時、民族楽器の笛を買ったんです。ひょうたん型でその下に竹の筒がついていて、5音階を使うんです。名前が分からないんですけど……(※1)、石林のイ(彜)族の村のお土産物屋さんで買ったんですよね。こういう管楽器とか、大好きなんです。(しばし、その音色を披露してくれました!) 自分の音楽でも使ってみたいと思います」

――雲南はそのロケで初めて行かれたんですか?

「そうなんです。びっくりするぐらい、すっごい暑かったですねぇ〜! イ族とタイ(人べんに泰)族の村に行ったんですけど、人が素朴で、地球はもともとこうだったんだなぁ、って感じました。食べるものも着るものもみんな自給自足なんですよね。食べ物は美味しかった。タイ族の村ではドジョウみたいなやつのから揚げとか、ちょっと珍しいものも食べたし。イ族の村で食べたヤギのチーズは最高でしたねぇ。あと、マツタケたっぷりのキノコ鍋とか!」

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――『地球のルーツ』の話が出たところで、今度は中さんの音楽のルーツについて教えてください。中さんはシマ唄を始められたのは高校生になってからなんですよね?

「ずっと小さい頃からピアノを弾いていて、将来も音楽をやっていこうという意志はあったんですけど、たまたま高校の時に奄美の文化センターであったクラシックのコンサートを見に行ったとき、元ちとせさんがシマ唄を歌っていたんですよ。その姿を見て、衝撃を受けまして――、自分もシマ唄を聴こうと思うようになりました。それからはレコード屋さんでCDとかカセットを買いあさって、四六時中、聴いてましたね。まねして歌ってみたのが初めです」

――奄美のシマ唄には流派はあるんですか?

「流派はないけど、南と北では歌い方が違います。南の方は『ひぎゃ唄』、北の方は『かさん唄』といって、僕は南の方です。初めて聴いた方には違いは分からないかもしれないんですけど、同じ曲でもかなり違うんですよ」

――奄美の若い人たちにとって、シマ唄ってどんな存在なんですか?

「僕が歌い始めた頃には、もう、『年寄りの音楽』っていう概念があったので、みんな、遠い目で見ていたんですけど、元さんが歌っているのを聴いたときには、こんな若い人でもこれだけの表現ができるんだ!っていう衝撃があって。

 シマ唄って昔はそうじゃなかったんです。70歳以上の人たちが若かった頃って、それだけしか娯楽がなかったからみんな、シマ唄を普通に楽しんでいた。でも、テレビやラジオが入ってきて、唄を歌い合う『唄遊(あしび)』がなくなっていたんですよ。今の40代とか50代の人が若かった頃、シマ唄を歌う人は遊び人って言われていたから、その世代の人で歌う人は少ないですね。そこが抜けていて、20代の人たちが歌っている、っていう。元ちとせさんの影響があって若い人たちとか40〜50代でも歌う人が増えてきて、毎年、奄美でやっているシマ唄のコンクールに出る人はここ数年で倍以上になりましたね。

 40〜50代の人たちは学校で方言を話すことも禁止されていたんです。学校で方言をしゃべったら廊下に立たされて、『私は方言をしゃべりました』とかっていう札をかけられて……。そんな環境だし、シマ唄が好きな人は親に隠れて歌っていたんですよね。それが最近になって、好きなように歌えるようになってきたんですね」

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――これから、どんな歌手になっていきたいですか?

「シマ唄の『シマ』って、奄美にある村々のことをいうんです。そこで何百年も歌い継がれてきた唄を他所に持ち出してどうこうしようっていう気持ちは全然なくて、そのままの形で残っていってほしいと思っています。シマ唄は奄美で楽しむもんだ、と。でもやっぱり自分は歌を歌って生きていきたいから、新しい音楽、ポップスに挑戦しています。

 シマ唄を歌うにしても、ポップスにしても、僕は『なつかしゃ』っていう奄美の感情を伝えたいと思っているんです。標準語にしたら『懐かしい』っていう言葉に近いと思うんですけど、奄美の人は、誰かを愛しく思う気持ちとか、家族を思って郷愁にかられたり、きれいな風景を見たり、音楽を聴いたりして心の琴線が震える瞬間に、『なつかしゃ』って表現するんです。元々、日本語の『懐かしい』にはそういう意味があったんだけど、消えていってしまった。奄美の言葉にはそれが残っているんです。そんな気持ちを、僕の歌を通して伝えていきたいと思っています。

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 世界に台湾の先住民族、アミ族の歌の魅力を知らしめた長老の唄い手・郭英男(Difang)と少し、印象が重なった。唄うことが生きること。その声は海や山も越えて、人々の心に深く深く、染み渡っていく。

※1:後に調べたところ、中さんが買ったのは「フルス(葫蘆絲)」。「フル」は「ひょうたん」の意。中国最南部から東南アジアにかけて有名な民族管楽器でした。


■中孝介(あたり こうすけ) プロフィール

 鹿児島県奄美大島出身、在住。26歳。高校生時代に独学でシマ唄を始めた。琉球大学社会人類学科に在籍しながらシマ唄を続け、2000年の奄美民謡大賞で新人賞を受賞。同年、日本民謡協会の奄美連合大会で総合優勝を獲得した。その実力が認められ、インディーズでシマ唄のCDを4枚リリース。琉球フェスティバルなどライブ活動も多く行った。05年9月にインディーズ・ポップスミニアルバム『マテリヤ』をリリース。同年の外資系CDショップ年間インディーズ・ポップスチャートで5位を獲得した。

 06年3月1日、メジャーデビューシングル『それぞれに』をリリース。6月28日に両A面のセカンドシングル『思い出のすぐそばで/真昼の花火』をリリース。『思い出のすぐそばで』は作詞に秋元康氏をむかえ、映画『着信アリFinal』の主題歌にも選ばれた。
(聞き手・構成:恩田有紀)
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