●谷垣健治のできるまで:国籍日本、でも“映画国籍”は香港(2006/09/04)
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 千葉真一×倉田保昭のガチンコアクションが話題の映画『マスター・オブ・サンダー』が絶賛公開中の谷垣健治監督。ロングインタビュー後編は、単身香港に渡って映画業界に突撃した谷垣氏のアクションにかける熱いアツイ情熱がほとばしる内容です。長文ですのでジックリお楽しみください。そして映画館へ走れ!

■キッカケは強盗容疑者の面通し!!

――22歳で香港へ渡ったわけですよね。“アクションはやっぱり香港”という思いが強かったのですか。

 「香港へのこだわりの元は成龍(ジャッキー・チェン=写真左)の映画です。ジャッキーの映画から入って他の香港映画も見るようになった。そこで気付いたのは撮影のテクニックです。たとえば、ジャン・クロード・ヴァンダムは香港映画に出ているときはかっこいいのに、アメリカに帰ったらしょぼくなる。倉田先生でも同じです。“これはもう撮り方に秘密があるんだ、香港映画はさすがだ”と思うようになって。

 大学入学と同時に倉田アクションクラブに入ったのも、香港アクションにいちばん近いところという意識があったからです。4年後、就職活動が始まった年に考えた末、香港行きを決めました。全然あてはないけど、行ったら何とかなると、いや行かなきゃしょうがないだろうという思いもありました」

――香港大学の広東語コースに通いながら、映画会社回りをして自分を売り込んだんですよね。

 「まあ事故みたいなもんでしたよ、あれは(笑)。映画会社を200社くらい回ったけどどこにも相手にしてもらえなくて、マクドナルドで声をかけられて行った、強盗容疑者の面通しの仕事がきっかけなんですから。でも、実は声をかけてくれた男がエキストラの派遣会社の人間で、その後、テレビや映画の仕事をもらえるようになった。

 エキストラの仕事を始めて1年近くたった94年6月頃、董〓(ドン・ワイ)の紹介で武師公會(香港動作特技演員公會)に入ることができた。“やったー、これでスタントマンの仲間入りだー”と感激でしたよ。それがなかったらあの時点で日本に帰っていたかもしれない」(〓王へんに偉のつくり)

■“オレいまスタントマンやってるよ、オイ!”

――武師公會に入ったら仕事もまとまって入ってくるようになった?

 「いや、来ないです(笑)。エキストラのときのほうが仕事がありました。最初の半年くらいはまったく仕事がなかった。でも、武師公會に入らないとスタントマンとして認めてもらえないし、ギャラも雲泥の差がある。会に入れば身分の保証と仕事があったときのギャラの保証がされるということ。ただドン・ワイ、徐寶華(チョイ・ボウワー)や甄子丹(ドニー・イェン)、とかに使ってもらえるようになったのが95年くらい。だから94年の後半っていうのはきつかったですね。1カ月1500ドル(約1万8000円)くらいの安アパートに住んでいました」

――実際にスタントマンの仕事をして、怖くてたじろいだりしなかったんですか。

 「わりとその状況を楽しんでいました。スタントやる前は怖いんだけど、“オレいまスタントマンやってるよ、オイ!”という高揚する気分の方が強かったです。よし、また一歩野望に近づいたっていう感じですかね(笑)」

■ジャッキー・チェンのDNA

――そうして入った香港映画界で、アクションだけでなく映画のいろはを学ぶことになったわけですね。

 「映画製作はほとんど知らない状態でしたから。映画を僕に教えてくれたのは香港なんです。僕は国籍は日本だけど、“映画国籍”は香港だと思っています。僕を含めてそういう人って実は多くて、『マッハ!』(03年タイ)のトニー・ジャーも『アルティメット』(04年フランス)のシリル・ラファエリも、ジャッキー・チェンを見て育った世代だなと分かりますよね。ジャッキー映画なり、香港映画がDNAの一部になっていると思う。ジャッキー・チェンのDNAを受けて育った世代というのは世界中にいて、スタントのレベルも上がっているというのは面白いことですね」

――ドニー・イェン(=写真左)に付いて長年仕事をしているわけですが、彼から学んだことは。

 「多いです。ドニーがいちばんの映画の師匠ですね。ドニーの現場の進め方が、すなわち僕の現場の進め方になっている。彼はアクション映画を撮るということは映画を映画として撮る行為がまずありきで、そこにアクションを構築するんだという、当たり前のことだけど大事なことを教えてくれました。

 また彼は人使い荒いからね(笑)。ロケハンから始まって最後の編集までなんでもやらされました。でも、だからよかった。それにドニーの撮影の進め方は、モニターを見ながら僕に修正点を伝える。それを僕が俳優に伝えるというやり方なんで。彼の言葉を聞いて、モニターの絵を見つつ数秒で理解して、それを現場の役者に数秒で簡潔に伝えなきゃならない。これは後に僕がアクション監督としてやるときにすごく役に立ちました。あらゆる作業で鍛えられたし、アクションの構築の仕方からなにからなにまでをドニーに付いて現場で学びました。」

■「カット! グッド! ……キープ!」

――香港の映画製作の現場は、日本と比べてどんな違いがありますか。

 「一言で言うと香港は“現場が豊か”です。まず今日撮り切れなかったら、明日がある、というゆとりがあります。そして、現場主義で、そこにあるものを有効に使おうとするし、スタッフがそれに対応するだけの技術と意識を持っている。ただ現場主義は悪く言えば行き当たりばったり。全体の計算があまりなってないんですね。計算通りじゃないからいいものが生まれる可能性もあるんですが。

 海外マーケットが広いので、製作途中で現場予算を増やすことも可能な場合があるのはいい点です。たとえば、『ツインズ・エフェクト』(03年香港)はジャッキー・チェンのゲスト出演が決まったことで北米マーケットに売れるめどがつき、当初予算の倍以上に増えた。現場予算も膨らむわけで、作る側は助かるんです」

――特にアクションについて香港と日本の差はどうですか。

 「香港はアクションにしつこいくらい時間をかけます。笑い話ですけど、袁和平(ユエン・ウーピン=写真右)の口癖は「カット! グッド! ……キープ!」で、キープを10キープくらい撮っちゃう(笑)。ジャッキーも『ラッシュアワー』(98年アメリカ)に行ったとき、「僕らの映画っていうのは10日あったら8日アクションで、2日ドラマだけど『ラッシュアワー』は逆だから全然ダメだ」っていう話をしてましたね。

 日本は美打ち(美術の打ち合わせ)できっちり割り、コンテ通り撮るのが多いですね。でも時間がない、10日間かかるところを1日で、なんて言われる。そのかわり、仕上げに時間をかけますよね。

だから、僕はいつも“香港の現場と日本の仕上げでやりたい”と思ってます。

 そうそう、日本はスタッフの“送り”が大変。終電過ぎれば、タクシーで自宅まで送る“タク送”になってしまい経費がかさみますからね。23時過ぎたあたりで、プロデューサーがこっちにやってくる(笑)。そのへん、香港は交通が24時間だから、何時までかかっても誰も気にしない(笑)」

■実はものすごく基本に忠実な香港映画

――香港映画が面白いアクションを撮れるというのは、香港人の思考や性格に関係するところもあるんでしょうか。

 「そう思います。アクション映画にかかわらずですけれども、わりと一部の作り手によって支えられているというのが関係していると思います。そのほうが、個性が出やすいということでしょう。日本ではそれがやりにくいですよね。絵コンテ配ってるから、何を撮ってるかスタッフ全員が知っていて口出しちゃう。

 曽志偉(エリック・ツァン)が面白いことを言ったことがあって、“ここにスタッフいるだろ、でもいま何を撮っているかはこのスタッフの5分の1しか分かっていないんだ”と。それは、自分たちの映画のクオリティを守る一つの方法かなとも思います。その人たちの意思しか反映されない。外れるかもしれないので、危ない面もありますけど(笑)。

 それに、香港映画は無茶苦茶しているようで、実はものすごく基本に忠実です。起承転結はしっかりあってその範囲で遊ぶ。カメラワークもイマジナリーラインを超えないという基本作法を守ります。すごく理詰めですよ、アクションも。ユエン・ウーピンの動作指導も分かりやすくて心地いい」

■香港映画は百花繚乱

――アジア通貨危機以降、落ち込みが激しかった香港映画ですが、これからもまた衰退していくのでは、映画界がしぼむのではという恐れは感じますか。

 「マーケットが小さくなってきているのは感じます。なぜかといえば香港映画の強い点はよくも悪くも“スター制度”だった。スターを出すことでお金がとれる、マーケットの保証があるということだった。いまはスターがみな高齢化で、新しいスターがいない、客を呼べるスターがいなくなった――これが原因です」

――香港はアクションにばかり頼りすぎて、ほかの作品に力をいれなかったからだという批判があります。また、香港は文芸作品は作れない、中国大陸の監督じゃないと、というような話もありますよね。

 「でも、僕の中では、香港っていうのはアクションだけじゃなくて、王晶(バリー・ウォン)みたいな娯楽ものもあれば、王家衛(ウォン・カーワイ)みたいな映画もあり、百花繚乱、むしろ偏らず幅広いチョイスがあって――というイメージのほうが強いです。アクションと文芸を並べると、どうしてもアクションの色のほうが強くなってしまう、それだけのことのじゃないかと。

 むしろ中国映画で、いわゆる巨匠といわれる人たちが、撮りたいんだか撮りたくないんだか分からない大作ばかり撮っているじゃないですか、アメリカの金で。あっちのほうがどうなのかなと。『PROMISE−無極』(05年中国)とかね(笑)」

■仕事が確実に血と肉になっている

――谷垣さんの映画作法は香港仕込みですが、この日本で自分のやりたいことが果たしてやれるのかという心配はありますか。

 「いまでも自分がやりたいこととの開きはありますね。日本にいたら遅れているとは感じないけど、香港でドニーとかとやっているとき、自分が世界でも最高レベルのアクション映画を作っている現場に参加しているんだっていう実感がある。日本ではあまり“実感”がない。いま外へ出ないともう出ていけなくなるかもと、ここ1〜2年はそういう危機感を切実に持っています。

 香港に行くたびに、ホント死にそうな思いをするんですけど、でもそこでの仕事が確実に血と肉になっているのが分かるんですよ。製作本数こそ減ったけど、いまだに数台のカメラ使ってシネスコで、フィルム使えるのはいいことだと思います」

――香港で香港の役者を使って撮りたいと思いますか。

 「思います。ドニーとか使いたいですね、千葉真一さんよりたいへんでしょうけど(笑)」

――それはどんな映画になりそうですか。

 「僕はアクションものしかできないので。ちゃんとしたドラマも撮りたいなというのはありますけど、その前に自分の得意なものを忘れないようにしたい。たとえば、僕は行定勲さんのような映画はとても撮れないけれど、行定さんだって僕が撮るような映画は撮れないだろうから。得意分野を、自分にしか撮れないものを大切にしたいということですね」

■理想の映画製作とは…

――香港のDNAは大切に持ちながら、ですよね。そこにはやっぱり谷垣健治の映画という部分はもちろんある、と。

 「そうですね、というか、Y染色体とかX染色体とかいう感じで、もう自分の中の香港映画のDNAは変えようがないですから(笑)。香港的な部分と日本人的な部分も含めて、僕の個性だと思うので、自分のスタイルが残せ、撮りたいものが撮れて、それがヒットしたらいちばんいいですね」

――谷垣健治の理想とする映画製作とは。

 「身一つで行くと、“ここにお金とカメラあるから好きな映画撮ってよ”と言われる、そういうのが一番いいですよね。もちろんカメラだけじゃだめですよ、金がないとね(笑)。どこの国でもいいからそういうのが理想です。企画書できたら持ってきてっていうんじゃなくてね。

 あ、それとスタッフの“送り”の心配不要の現場がベストですね(笑)」
(聞き手・構成:笠原宗彦)
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