●「絶品」の二胡、演奏者マ・シャオフイさんのこと(2006/06/19)
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馬暁暉(マ・シャオフイ)東京リサイタルに寄せて−鈴木秀明
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■伝統曲でも新ジャンルでも高いレベルの演奏
「中国の民族楽器演奏者は大変だなあ」と、つくづく思うことがある。特に、「一流」とされる演奏者の場合だ。伝統的なレパートリーだけを弾いていればよいというわけにはいかない。世界中からさまざまなジャンルのアーティストが共演を申し込んでくる。「一流」と評価されているメンツもあり、多くの場合にはオファーに応じることになる。そして、共演相手も聴衆も納得させる演奏をしなければならない。
かといって、伝統曲の演奏で手を抜くことはできない。技術的にクリアするだけでは不合格だ。それぞれの楽曲が持つ微妙なニュアンスを弾きこなせなければならない。中国語では、この楽曲がもつニュアンスのことを「風格」と表現するが、伝統曲の風格がきちんと演奏できないようでは「新奇なことはできても、楽器本来のレパートリーはダメ。基礎ができていないのだろう」といった烙印を押されてしまう。
この二つの課題を見事にクリアしているのが二胡演奏家の馬暁暉(マ・シャオフイ)さんだ。「空山鳥語」や「二泉映月」「江河水」といった、二胡ファンならばだれもが知っているスタンダードナンバーを情感たっぷりに弾きこなす。と思えば、マイウェイといったポピュラーナンバーやテレサ・テンの持ち歌、さらにはJ・S・バッハやバルトーク・ベラといったクラシック曲まで。
ちなみに、馬さんが外国曲を弾いた場合、オリジナルと全く同じ雰囲気になるわけではない。やはり、二胡という楽器の特徴が出た演奏になる。しかし、それが違和感になるのではなく、「なるほど、こういう演奏法もあったのか」と、いつも曲の新しい魅力を教えてくれることになるのが特徴だ。
そういえば以前、来日してNHK交響楽団と共演した時のことだ。私はステージ通訳を頼まれていたこともあり、リハーサル会場に足を運んだ。休憩時間に、N響団員が廊下で音あわせをしたばかりの馬さんのことを話している。「オレたちは、ああいった情熱にまかせて形を崩す演奏はダメだと教わったよな」「ところが、それがサマになっている」「技術的にもしっかりしているんだよ、彼女は」と、異質の音楽家に対する驚きと、高い技術と音楽性の持ち主に対する賞賛の声が、あちらこちらから聞こえてきた。
■音符を音楽にする、知的作業を楽しむ
もう一つ、彼女の特長として「譜面読み能力」がある。音楽の世界では「ソルフェージュ能力」と呼ばれる技術だ。もちろん、クラシックの音楽家でもポップス系のミュージシャンでも、譜面は速く正確に読めて当たり前だ。ただ、中国の伝統楽器の演奏者では、なかなかそうもいかない場合が多い。
実はこの現象、中国の音楽大学の教育方式も関係しているようだ。最近ではかなり変化しているようだが、伝統楽器の演奏者は、1学期間に1曲か2曲しか勉強しない場合も珍しくはない。その分、伝統曲の微妙なニュアンスを教師からきびしく指導されるわけだ。
もちろん、「伝統的演奏風格」を身に付けようと思ったら、それなりの時間は必要だ。1曲に時間をかける教授法も必要だろう。ただ、新しい譜面を読む機会は少なくなる。修行時代に、ソルフェージュ能力が低くて困ったという痛切な思いをすることがあまりない。音楽大学には「視唱練耳(ソルフェージュ)」の授業もあるが、民族楽器を勉強する学生のレベルは、それほど高くない場合が多い。
ところが馬さんの場合、「彼女なら譜面をしっかり読んでくれる」との定評がある。だから、地元上海のテレビ局などからも引っ張りだこ。ドラマの主題曲の譜面を渡され、「ちょっと待っていてくださいね」と10分ほど練習して録音してしまうこともあるらしい。
もちろん、譜面読み能力と演奏レベルとの間に直接の関係があるわけではない。特に中国の民族楽器の演奏者の中には、譜面読みは苦手でも、最終的にすばらしい演奏に仕上げる能力の持ち主がいる。しかし、異なるジャンルのレパートリーを開拓するために、「譜面読み」の技量はぜひともほしい能力だ。
新しい譜面を読み、その音楽を二胡という楽器でどのように表現するか。これは極めて知的な作業といってよいだろう。馬さんは、こういった頭脳を使う仕事を心から楽しんでいるようだ。
実は、テレビ局の仕事をしていることについて、馬さんに対して「あなたのような、一流とされている演奏家が、テレビのアルバイトのような仕事をして、メンツにはかかわらないんですか?」と、意見じみたことを言ったことがある。すると「誰も演奏したことのない新しい譜面を渡されて、それを私が現実の音楽にする。とても面白い仕事ですよ」という答が返ってきた。
■芸術家魂とは、結果の全てに責任を負うこと
メンツに関してもう一つ。キングレコードから発売したアルバム「華」の曲目を決めた時の話だ。馬さんとEメールを何度となくやり取りする中で、「オール中国もの」にしようという企画が確定。日本側としては伝統曲だけでなく、テレサ・テンのレパートリーも演奏してもらおうと要望を出すことになった。
馬さんがテレサ・テンを好きだということは既に知っていたが、「好き」ということと「演奏」することは別。「歌謡曲は演奏できない」ということで、NGが出ることも半ば覚悟していた。
ところが、馬さんは二つ返事でOK。しかも、こちらが提案した曲以外の1曲を「これも演奏したい」と連絡してきた。録音時にその理由を尋ねてみたところ「好きな曲だから」と、極めて当たり前の回答。続けて、「ジャンルにはこだわっていない。問題なのは、良い曲か、そうでないかということ」「必ず聞き手が感動する良い演奏をする。それが、私のメンツ」と語る。
自由な考え方で演奏活動を展開していることを物語る発言だが、考えてみれば、芸術家として実に重い責任を背負い込んでいることを意味する。なにしろ、権威や習慣には頼らずに、「自分の意思ですべてを選び、結果についても自分がすべての責任を負う」と言っているのに等しいからだ。
■どんな状況でも「ここ一番」で本領を発揮
しかし馬さんに、そんな重圧を感じている様子はない。努力を積み重ねて高めてきた自分の能力に絶大な自信があるようだ。そして、一流の人間に特有な「ここ一番」でみせる集中力もすばらしいものがある。すべての雑念は脳裏から消え失せてしまう。しかも、その集中力は周囲の共演者にも伝染していく。
前出のアルバム「華」の録音時、どうしても共演者である打楽器奏者との息が合わずに、納得のいく録音ができない曲があった。通常、録音の際には、「一発でOK」という方が稀だ。通常は数回から、多い場合にはそれ以上演奏して、演奏者がベストと思うテイクを採用することになる。
ただし、3−4回目を過ぎて演奏がよくなることはあまりない。10回以上録音しても、結局、最初のうちに録音したものを使うことが多い。演奏者も、「まあ、仕方ないか」とあきらめの心境でOKを出す。
その日、馬さんは同じ曲の演奏を10回あまりも繰り返しただろうか。どうしても納得できないらしい。しばらく脱力してしまったように、天井を見上げている。
そしてやおら、「最後の1回! いくよー!」と、スタジオ内に響き渡る大声を上げた。共演者が急いで演奏位置につく。録音スタッフがキューを出す。演奏開始。ノーミスで最後まで突っ走る。そして演奏終了。
バッチリだった。それまでの不調が信じられないような快演。もちろんOKテイク。
よくありそうな話だが、疲労困憊している演奏者が最後に振り絞った集中力で、それまでより格段によい演奏をすることは、実際にはそう多くない。しかも、共演者まで巻き込んで。
まぎれもなく、現在の中国ではトップクラスの演奏家。「二胡の演奏芸術はここまで到達できた」ということを実感できるのが、彼女の演奏だ。
だから、二胡ファンだけでなく、「二胡に興味はあるけど、きちんと聴いたことはない」という人に、彼女の演奏に触れてほしいと思う。とびきりの演奏に接してみれば、自分と二胡音楽の相性もはっきり分かるというものだ。もちろん、「二胡の音楽は、どうもピンとこない」という人も出てくるだろう。しかし、ほとんどの人が二胡の奏でる調べに心を奪われることになると、私は信じている。
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