●【胡同】/Hutong(2006/06/28)
北京の「路地」「横丁」のこと。実際には、自動車が楽に通れるほど広いものから、幅が数十センチメートルしかないものまでさまざまだ。
「胡同」の語源は、モンゴル語で「井戸」を表す「ホタグ(hutag)」だという説が一般的。北京が中国全国の首都になったのはモンゴル人が樹立した王朝である元の時代(1279−1368年)だった。当時の名称は「大都(dadu)」。さらに、清代(1644−1911年)にも、多くのモンゴル人が北京に住んでいた。
清の支配階級は満族だった。このため、清代には多くの満族が北京に住んでいた。それにもかかわらず、胡同の語源としてモンゴル語がクローズアップされる理由には、モンゴル人の王朝であった元代に創作された音楽劇の一種である「雑曲」の台詞の中に「胡同」という言葉が見られることが挙げられる。
また、同じモンゴル語でも「都市」「街」を表す「ホト(hot)」が「胡同」の語源だという説などもある。ちなみに、内モンゴル自治区の政府所在地である「フフホト(呼和浩特)」は、「青い都市」の意。
「胡同」とは北京独特の呼称だ。中国北部の都市の場合には路地を「胡同」と呼ぶ場合もあるが、それほど一般的ではない。上海の場合には「里弄(Lirong)」と呼ぶ。
「胡同」は北京市民の生活の場だった。子供が遊ぶ。道端に設けられた自由市場で、野菜や果物を買う人々。夏場には、家から椅子やテーブルを持ち出して囲碁などに興じたり、パイプたばこをふかして夕涼みをする老人がいる。「胡同」は北京っ子の原風景だったともいえる。
しかし、1970年代から80年代にかけては、無断で「胡同」部分にはみ出す形で住居や店舗を増築したケースも多く、昔ながらの「胡同」の風景は大きく損ねられた。また合法的な建築でも、周辺との美観を配慮しない場合が普通だった。
さらに、1990年ごろからは北京市の再開発にともない、取り壊される「胡同」が激増した。保護地区は設けられているが、庶民の生活に根ざした「胡同」の活力は失われようとしている。
それだけに、「胡同」に郷愁を感じる北京っ子も多い。06年7月8日には中国の若手実力派監督として知られる、張楊(チャン・ヤン)監督の最新映画『胡同のひまわり』が日本で公開される。古きよき「胡同」を舞台に、父と子の絆をみずみずしい映像で描いた作品として、中国国外でも高く評価された作品だ。(編集担当:如月隼人)
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